帰国子女の信仰問答

Plan, Do, Check, Pray

どこまでもやる先生

教師という職業はそもそもブラックだが、生き甲斐や情熱を感じて働く先生も少なくない。

というか、そんなものがないとやってられない。自分もそうだ。

それでも仕事への入れ込み具合はもちろん差が出てくる。超ワーカホリックな先生方もいる。

朝来たら既にいて、警備の方に追い出されるまで職員室にこもって夜遅くまで仕事する先生もいる(せざるを得ない状況もある)。

今日はまた驚いた。

僕は運動部の顧問だが、同じ部活の顧問はそれなりにいる。そして中に入って何時間も一緒に練習してあげる先生がけっこういる。僕は未経験のため、ほとんどやらない。見ているだけだ。やりたいという気持ちはあるがまだ行動には起こせていない。

同じ部活の顧問(担当学年は違う)が、練習に入るだけではなく、入部式や退部式をかなり力を入れてやり、保護者を集めて部活指導に巻き込み、更には写真や映像を集めたDVDまで焼いていたのだ。

ここまでやるか、と。いや凄いよ。ここまで手を掛けてもらえる生徒もその保護者も嬉しいだろう。でもそこまでやるものか?自分の時間は持てているのだろうか?非常に謎である。週末もほとんど部活指導しているし、積極的に色々な大会に参加させている。

授業準備の時間は?プライベートは?寝れてる?

よくワーカホリックな先生は「趣味ですから」って答える。分からなくはない。でも、生活のほぼ全てを教師として費やして、それって健全なのだろうか?僕は疑問に思ってしまう。もちろん問題ない場合もある。でもそれは教師本人の人格形成にとって、そしてその献身ぶりを見せつけられている生徒にどんな影響を与えるのだろうか?

答えは分からないがこれからも考えていきたい。

自分も情熱や使命を感じて教職についている。でもそこまでの自己犠牲はできていないし、するとも思わない。

ある先生が、「いや、君は専任になるための自分磨きに徹するべきだよ。自己犠牲的なサービスは教師としての能力が成熟してからで良い。」と言ってくれて今も踏みとどまれている。

皆さん、今週もお疲れ様でした。