帰国子女の信仰問答

Plan, Do, Check, Pray

変化なくしては成長は起こりえない

今日もNicky Gumbel氏のデボーションよりコメント。

今回は有名で人気なあの箇所。

「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」 ‭‭コリントの信徒への手紙二‬ ‭3:18‬ ‭新共同訳‬‬

この聖書箇所は自分にとっても救いだ。僕はとにかく自分のことが嫌いな自己嫌悪とコンプレックスの塊だ。そんな自分が「神のように変えられていく」という考え方は、自分を受け入れられるきっかけにもなった。自分が嫌いな理由は、自分の汚さや弱さが痛いほど分かるからだ。その不完全な部分が完全なものへと変えられていく。考えるだけでも希望に溢れている。

ちなみに、この「造りかえられていく」ことは、神の模造品になり、個性や自己の損失にならないのか、という疑問は当然湧いてくる。そもそも聖書の神に特定の性格みたいなものはあるのかも疑問だが。有名な牧師ジョン・パイパー(John Piper)氏がこんなことを言っていたのが印象的だ。「造りかえられていく、ということは個人の損失ではない。むしろ、神を通してその人の個性がより強く発揮され、用いられていくことだ。全ての根源は神であるが故に、全ての個性や性格も神を源にすることでより強く、完全に発揮される。」ちなみにこれは直接彼の言葉をケズィック・コンベンションで聞いたので、僕の記憶に基づく要約。

まあクリスチャンとしては何となく言ってることが分かる。自分の悪い部分というのは、むしろ結果的にそれがあって良かった、というふうに用いられていく気がする。もちろんそこには、善いことを望み続け、自分の罪を嫌って成長しようとする姿勢がないと起こらないと思うが。

Nicky Gumbel氏のデボーションには毎回最後にPippa Addsというコーナーが出てくる。PippaはNicky氏の奥さんのことだが、このお方が添える一言がまた良い。男性視点の旦那さんのデボーションに女性視点の一言を加えたりしてくれていて、足りない部分を保管してくれている感じがある。そしてPippaさんは読んだ聖書の言葉に対して正直に弱さを告白してくれたりする。だからとても共感しやすい。

今回は珍しく、冒頭の聖書箇所に対して一言だけ簡潔に書いていた。

Without change, there is no growth. (変化なくしては成長はない)

先輩教師の一人がよく口にする、「停滞は退化に等しい」。

変化というのは怖いものだ。我々人間は安定を求めがちであり、変化の少ない日常を求める傾向にある。しかし、脳医学的にも示されているらしいが、変化こそ人間を活性化させるもの。変化がないと人間は退化していく。今後も成長を求めるという意味で、変化やチャレンジを積極的に求めていきたい。