帰国子女の信仰問答

Plan, Do, Check, Pray

WTP!!!3.0 #138-140 神様は諦めない

よくWTPというポッドキャストを聴きます。KGKの総主事を一時期務めていた大嶋牧師がパーソナリティを務めて、けっこうゆるい雰囲気でぶっちゃけながら話すラジオ。そういうコンセプトなのでWhat The Pastors!(なんて牧師だ!)というわけです。

www.pba-net.com

最近聴いたのは、タイトルにもありますが138~140番の回。清水せつさんがゲスト。私は知らない人ですが、アメリカ育ちのクリスチャンということで親近感湧きまくり。色々と自分の中に残しておきたい内容があったのでここに記録します。

手首の握手

良かったのが「神様握手」という話。せつさんが確か牧師から聞いた考え方。 神を信じる信仰というのは、神との関係性を構築していくことを指すのですが、それは「神様との握手」なのだと。そしてそれは普通の握手ではなく手首の握手だと。つまり、人間が手を離してしまっても、神のほうは人間の手首を掴んで離さない。神は一生あなたのことを諦めないよ、ということ。

明日になったらクリスチャン辞めてるかもしれない。もう一回、今よりも大きな試練が起きたら、さっさとクリスチャン辞めると思うんですよ。でも、神様は私を諦めない、という自信だけはある。自分には全く自信がない。でも自分のことを愛してる神様には自信がある。

せつさんのその考え方には凄く救われる。僕自信、いつクリスチャンとして躓くか分からないし、実は最近まで躓いていた。実はちょっと前まで、あまり教会に通えなくなっていた。自分の両親が牧師として務める教会にだ。理由は上手く言語化できない。クリスチャン人生においてこの躓き方は初めてだった。今はなんとか復帰できているが、この事実もあるし、自分の心の弱さはよく分かっているので、「いつクリスチャンを辞めるかわからない」という宣言には凄く共感するし、「でも神のほうは諦めていないのだ」というメッセージには凄い癒しがあると思った。

この話を聞いて思い出した絵画がある。ミケランジェロの『アダムの創造』だ。

ja.wikipedia.org

神が精一杯手を伸ばしている。でも人間(アダム)の側は精一杯とは言えない、よれっとした腕を伸ばしている。これは創造がテーマなので、神の息吹が吹き込まれてアダムが命を得るシーンだと説明されるが、個人的には違う印象を覚える。もちろん制作者と専門家の説明を切り捨てるわけではない。でも、パッと見るとこの絵画、神がアダムから引き離されている瞬間にも見えませんか?アダムが罪を犯した結果、神はアダムの元を離れないといけなくなったが、本当は嫌で手を精一杯アダムに向けて伸ばしている。しかしアダムは…、という感じだ。

ペテロの癒し

せつさんの話でもう一つ印象的だったのがペテロの解釈。大嶋さんもそう考えたことはなかった、という感想を漏らした。イエス様が生き返り、ペテロの元に姿を表した時、「ペテロよ、あなたは私を愛しているか?」という有名な問答が繰り返される。ペテロはもちろん「愛している」と答えるのだが、せつさんは何故この時にペテロははっきりとそう言えたのかを考える。裏切ったばかりで、そのことを悔んでいるペテロはなぜそれでも「愛している」とまた言えたのか。自分だったら言えない、と(実際、僕も後ろめたさを感じるだろう)。

でもペテロの内面が変わったのではない、と。ペテロは裏切ってしまった弱いペテロのまま。変わったのは復活されたイエス様の方だと。復活してくださり、わざわざ自分に会いにきてくださったイエス様を自分の目で見たからこそ、ペテロは確信を持って「自分はイエスを愛し続けられる」と思ったのでは、と。ペテロ(人間)は裏切った、でもイエス(神)は裏切らない。神は人間のことを諦めない。その神の普遍的な性質と証明があるからこそ、人間は神を信じ続けられるのだと。

自分の弱さを強く自覚している僕にとってこの考え方はすごい響いた。すごい人間らしくて、ペテロのその心の有り様が凄く鮮明に想像できるこの解釈が凄く好き。