2023年8月16日:すべてのことが益になるわけではない
「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。 コリントの信徒への手紙一 10:23 新共同訳
僕たちには自由が与えられている。自由意志は僕たち個人が認識する限りでは尊重されている。我々の悪い行動も、頭の悪い行動も全て容認される。「愛さない」ことも黙認される。「行動しない」ことをすることや「選択をしない」選択をする権利が与えられている。
でもそれって自分や他人の益になるのだろうか?模範になるのだろうか?
パウロの主張は実に厳しい。人間の最も指摘されたくない部分も、無意識に正当化してしまっている言動すらも見逃してくれない。
自分、少し完璧主義に近い思考があるようで、仕事や生活について考え込み過ぎて、悩み過ぎる傾向が強い。その結果はあまり良くないもので、思考が先走って行動が止まってしまうのである。思考から逃げるために違うことをしてしまう、という怠惰の典型的行動も起こすことは多い。
上の段落は全て言い訳である。聖書の言葉を突きつけられて、このブログを書いている間にも、実際に自分を正当化しようとして出てきた返事だ。
もう少し、クリスチャンとして、自分を客観的に分析し、自己吟味する必要性があると感じた。変な言い訳はしてないで、自分は「全員にとって益になる行動」ができているのか。自分は「全員にとって害になる行動」を避けることができているのか。改めて考えていこうと思います。
だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。 コリントの信徒への手紙一 10:31 新共同訳