帰国子女の信仰問答

Plan, Do, Check, Pray

短い夏休み、多い補習

「始まってしまったね〜」

会って早々、先輩の先生方が言っていた。

補習が始まった。9月の始業式まである。まだ本来は「夏休み」なのだが、我が校は必修補習という名の授業が始まった。夏休みは文字通り休みでしかない(アメリカの)文化で育った自分としては信じがたい風習である。そもそも補習がない日も部活生は部活動やら大会やらで学校行事に駆り出されている。塾にとっても「夏期講習」が実施できる書き入れ時だ。

この光景を見てよく思う、「日本の子供は忙しすぎるのでは?」

もっと一人でダラダラする時間があっても良いはずだ。自分のことや世界のことについて思いを深く巡らす時間があった方が良い。もっと友達と遊びに行く時間があるべきだ。もっと地域の住民と繋がる機会が与えられても良いのではないか。身体を休ませて、日頃のストレスを発散する余裕を与えるべきだ。

さらに驚いたのは、この考えを持つ先生は意外と少ないと知ったことだ。どうやら公立高校は必修補習が無くなり、単位を落とした生徒だけ補習や講座を受けさせて済ませるようだ。文科省の指針で、学期外の補習や講座の内容を定期考査で問うことはできなくなったらしい。それでも「補習はもっとあった方が良い」「絶対(補習の内容を考査で)問う方が良い」という声をたくさん聞く。

理由は単純。勉強の進度を確保できるからだ。確かに分かる。何事もそうだが、受験戦争が比較的激しい日本では特に、教育の進度と継続は重視される。夏休みは定着しかけていた知識を忘れてしまったり、せっかく作ることができていた勉強習慣を失うには十分過ぎる時間だ。だったらその間に勉強させていれば良い、というのは自然な考え方だ。

しかし、夏休みはもっと有効活用されるべきではないか。休みボケ問題を改善したいのなら教育の制度を変えたって良いのだし、何より学校外で得られる大切な体験や機会を奪ってしまってはないか。そう思わずにはいられない。

まあとにかく、補習が始まってしまった。初日は生徒も辛そうな顔で授業を受けていた(先生だって学校に来たくない)。午前までなのが不幸中の幸いだが、それでも部活指導を含めればほぼ一日中、学校にいなければならない(生徒も同じ)。まだ確保できる時間は多いので、この期間中に趣味の時間を多めに取ったり、自分のスキルアップのための授業準備や教科研究をしていきたい。