砂だらけの教室
教室の床が砂だらけ。部活生が運び込むことが多い。野球部員の机の下なんて砂だらけなことが多かった。あとはそう、雨が降った時だ。雨が降ったのだが、教員として勤めておそらく初めて、学校中の床が砂まみれになった。
今は体育祭のシーズン。本番に向けて全校生徒が練習中だ。世間では記録的な暑さが世を騒がせており、温暖化は既に臨界点を迎えたのでは、という不安になる議論も聞こえてくる。しかしそんなこととは切り離されて、人間の「日常」は今も普段通りに続いている。変わらずに大量消費の恩恵を味わい、変わらずにエアコンをつけて「涼んで」いる。
ある意味、学校というのはこの温暖化の異常さと、その問題を生徒に考えさせなければいけない機関だ。それでものんびりと体育祭を炎天下の中で楽しんでいるのである。
まあでも、体育祭に反対かというとむしろ賛成派だ。テストや補習などで勉強疲れしていた生徒達が楽しそうに体育祭練習しているのを見ると、こちらまで嬉しくなる。こういう行事は大事なのだと思わされる。
炎天下の中で熱中症にならないか心配だが、今のところは大きなことは起きていないので良かった。初日は朝早くに雨が降った。グラウンドは濡れてしまったが、むしろ温度が下がったので比較的涼しい気持ちで体育祭練習を迎えることができた。午後も曇っていたので助かった。
雨が降ったあとに全生徒がグラウンドで体育祭練習をしたため、学校の床はそこらじゅうが砂だらけ。「自分が学生の時もこんなことあったなぁ」と思いながら歩いていた。自分の高校でも雨が降るたび階段が砂だらけになるのが恒例だった。勤務校は掃除が行き渡ってるためあまりこういった光景は見 れない。珍しく砂だらけな床を見て懐かしんだ。
夏は終わるけど温度は夏のまま
「やっと終わったね」
そんな一言が多かった。やっと補習が終わった。後半は毎日3コマ担当。普段の授業数とあまり変わらないので結構キツかった。
生徒たちも目に見えて疲れていった。日に日にテンションが低くなっていったし、物凄く授業しにくかったクラスもある。違う学校では補習やっていない、という会話も聞こえた。まあ、間違ってはない。模試の結果が最近届いたのだが、結構良かった。平均偏差値が例年よりもかなり高かった。補習があるから、とは言わないが、ゴリゴリ勉強させられている成果はちゃんとあるのだと感じて欲しい。
今年の夏はかなり暑かった。世界中から火災のニュースも聞こえてくる。地球はもはや燃えている状態ではなかろうか。やっと温度が下がり始めたとは思うが、まだまだキツい。夏休みは終わったが、温度は夏のまま。ある意味、最悪の状態である。
そろそろ体育祭の時期になってくる。生徒も教員もこれでちょっとは気分が盛り上がったらいいな。体育祭をした結果、コロナの集団感染で休校になった学校のニュースもちらほら聞こえてくるため、こちらも同じことにならないことをひたすら祈る。あと、やっぱり暑い。熱中症にはとにかく注意しないといけない。
いつまでブレワイの壁紙なんですか?
僕は授業でプロジェクターを使う派だ。色々と便利で時短にもなるのでもうプロジェクター無しで授業なんてしたくもない。iPadを画面に繋いで授業をするのだが、その時必ず見えてしまうのがホーム画面の壁紙だ。
僕は壁紙をゼルダの伝説 ブレスオブザワイルドの壁紙にしている。続編(ティアーズオブザキングダム)が発売する前だったので、そのワクワクを楽しむためにも壁紙にしていた。もちろんゲーム付きの生徒も反応する。
だがもうティアキンが発売してから数ヶ月が経っている。とうとう「いつまでブレワイの壁紙なんですか?ティアキンのにしないんですか?」と言われてしまった。確かにね、自分でも思ったことはあるのだが、そこまで壁紙に気を配る人間でもなかったからずっおブレワイのままだった。そろそろ変えるか。
ゲームが好きなことは少しはうりにしようかな、と思っている。職員室の机きにもポケモンやゲームグッズをさりげなく置いている(好きな生徒は反応してくれる)。オタクが反応する本も置いて、反応した子には「貸すよ?」くらい言ってあげたい。
教師の義務は教えることである。オタクの義務は相手が沼りそうなコンテンツを共有して沼らせることである(?)。
どこまでもやる先生
教師という職業はそもそもブラックだが、生き甲斐や情熱を感じて働く先生も少なくない。
というか、そんなものがないとやってられない。自分もそうだ。
それでも仕事への入れ込み具合はもちろん差が出てくる。超ワーカホリックな先生方もいる。
朝来たら既にいて、警備の方に追い出されるまで職員室にこもって夜遅くまで仕事する先生もいる(せざるを得ない状況もある)。
今日はまた驚いた。
僕は運動部の顧問だが、同じ部活の顧問はそれなりにいる。そして中に入って何時間も一緒に練習してあげる先生がけっこういる。僕は未経験のため、ほとんどやらない。見ているだけだ。やりたいという気持ちはあるがまだ行動には起こせていない。
同じ部活の顧問(担当学年は違う)が、練習に入るだけではなく、入部式や退部式をかなり力を入れてやり、保護者を集めて部活指導に巻き込み、更には写真や映像を集めたDVDまで焼いていたのだ。
ここまでやるか、と。いや凄いよ。ここまで手を掛けてもらえる生徒もその保護者も嬉しいだろう。でもそこまでやるものか?自分の時間は持てているのだろうか?非常に謎である。週末もほとんど部活指導しているし、積極的に色々な大会に参加させている。
授業準備の時間は?プライベートは?寝れてる?
よくワーカホリックな先生は「趣味ですから」って答える。分からなくはない。でも、生活のほぼ全てを教師として費やして、それって健全なのだろうか?僕は疑問に思ってしまう。もちろん問題ない場合もある。でもそれは教師本人の人格形成にとって、そしてその献身ぶりを見せつけられている生徒にどんな影響を与えるのだろうか?
答えは分からないがこれからも考えていきたい。
自分も情熱や使命を感じて教職についている。でもそこまでの自己犠牲はできていないし、するとも思わない。
ある先生が、「いや、君は専任になるための自分磨きに徹するべきだよ。自己犠牲的なサービスは教師としての能力が成熟してからで良い。」と言ってくれて今も踏みとどまれている。
皆さん、今週もお疲れ様でした。
教員にとってスタバは「危険」な場所
午前中は補習、午後は部活指導。それで一日が終わる。夏休みなのに。
それでも一般的な社会人と比べたらマシなのかもしれない。まだ夏休み中の補習期間でしかないため、授業は半日で終わるし、そもそも夏休みがあるということは社会人にはない、まとまった休暇があるということ。まあ普段は朝早くから夕方まで授業をし、お金にならない部活指導サービスを夜までし、さらにそこから21時くらいまで授業準備、という1ヶ月の残業時間が余裕で100時間を超える忙しさなので、決して楽だとは思わない。
まあそれはともかく、今日は部活指導がない日。スタバにでも行ってゆっくり作業をしようと思った。というかこのブログ記事は今、正にスタバで書いている。家よりは学校にいるほうが仕事は捗るのだが、職員室は落ち着けて仕事ができるわけでもない。そんなわけでたまに抜け出してリラックスしたり、違う場所で作業するのは結構大切な時間だ。
しかし、教員にとってスタバは危険地帯でもある。
そう、勤務校の生徒に遭遇する可能性はけっこう高い。生徒だって午前中しか補習がないのだから、午後は友達や恋人と一緒にカフェやらファミレスやらに行くものだ。マックに入って、勤務校の制服が見えてすぐにUターン。何度このUターンをしたことか。オフモードの自分をあまり見られたくないので、学外で生徒を見かけたら僕個人は避ける行動を取ってしまう。「あ、先生、どうも」と言われても気まずいのだよ。
というわけでスタバにいるのだが、案の定、生徒に遭遇してしまった。「先生」と小さく聞こえたので目を向けてみたら二つ隣の席に生徒が。普通だったら気まずかったり緊張したりして近くに座るのは避けそうなのだが、「よく先生の近くに座れたね」と聞いてみたら、どうやら間に座っていた人が席を立つまで気が付かなかったらしい。
しばらく読書を続けていたが、こちらをチラチラ見てくるので「気まずいでしょ」と聞いたら「気まずいです…」と。そうよね。僕も気まずい。 というわけでドリップコーヒーのおかわりを注文したついでに新しい席を見つけて移動した。来た時は混み合っていたのだが、ちょうど空いている席が多かったので助かった。隣はまた学生。近所の有名な私立高の制服。まあ勤務校じゃないので気にならないが。
生徒も勉強をしていたが、これでちょっとは集中できるだろう。いや、僕が消えればむしろ安心して遊べるのかな?どっちでもいいが。
そういえば最近はスタバのスイカフラペチーノが話題だが、個人的にはエスプレッソ・アフォガート・フラペチーノ(って名前だっけ)が気に入っている。コーヒーらしく苦味もあるフラペチーノ。コーヒー好きにはオススメ。
さて、ちょっとは授業準備でもするか。
夏休みで減ったマスク
夏休みが終わり、
…いや実際はまだ夏休みなのだが、補習は始まったらもう授業みたいなものなので実質的には終わりだと考えて、
………夏休みが終わり、気がついたことがある。
生徒のマスク着用率が一気に下がったのだ。
今年度からマスクはもう個人の判断になったわけだが、日本国民はまだまだマスクを使い続けている。
正直、日本社会では驚くレベルでまだまだ着用率が高い。これは色々な問題を孕んでいると思うのだが、まあそれは一旦置いておいて、教員として意識していたのが「生徒のマスク着用率」だ。不安な生徒もいるだろうし個人の判断は尊重する。でも、「顔を見られたくないから」「恥ずかしいから」マスクを外せない生徒が多いのではないか、という不安がある。もしそうだとしたら、マスクは生徒の精神的発達に大きな影響を与えていることになるし、対処しなければいけない問題になる。
個人の体感なので信憑生があるとまでは言わないが、感覚的には女子の着用率が高かった。
しかし、今は夏休みが終わって補習中なのだが、戻ってきた生徒たちの多くがマスクを外していた。ちょっと驚いたが、もしかすると自然な現象なのかもしれない。夏休みはそりゃ遊ぶだろう。家で過ごす期間も多いだろう。そんな時にマスクが鬱陶しく感じ始めるのは分かる気がする。
生徒達にとって社会的活動のほとんどは学校で起こる。学校では色々と気にしてマスクをつけていたが、家やプライベートな遊びではマスクをつける必要性が減るのかもしれない。そして夏休み中にマスクを外す時間が増え、マスクをつけないことがやっと当たり前になってきたのかもしれない。そうだとすると嬉しい変化だ。
あと、単に夏になって暑いからマスクを外すようになったのかもしれない。
短い夏休み、多い補習
「始まってしまったね〜」
会って早々、先輩の先生方が言っていた。
補習が始まった。9月の始業式まである。まだ本来は「夏休み」なのだが、我が校は必修補習という名の授業が始まった。夏休みは文字通り休みでしかない(アメリカの)文化で育った自分としては信じがたい風習である。そもそも補習がない日も部活生は部活動やら大会やらで学校行事に駆り出されている。塾にとっても「夏期講習」が実施できる書き入れ時だ。
この光景を見てよく思う、「日本の子供は忙しすぎるのでは?」
もっと一人でダラダラする時間があっても良いはずだ。自分のことや世界のことについて思いを深く巡らす時間があった方が良い。もっと友達と遊びに行く時間があるべきだ。もっと地域の住民と繋がる機会が与えられても良いのではないか。身体を休ませて、日頃のストレスを発散する余裕を与えるべきだ。
さらに驚いたのは、この考えを持つ先生は意外と少ないと知ったことだ。どうやら公立高校は必修補習が無くなり、単位を落とした生徒だけ補習や講座を受けさせて済ませるようだ。文科省の指針で、学期外の補習や講座の内容を定期考査で問うことはできなくなったらしい。それでも「補習はもっとあった方が良い」「絶対(補習の内容を考査で)問う方が良い」という声をたくさん聞く。
理由は単純。勉強の進度を確保できるからだ。確かに分かる。何事もそうだが、受験戦争が比較的激しい日本では特に、教育の進度と継続は重視される。夏休みは定着しかけていた知識を忘れてしまったり、せっかく作ることができていた勉強習慣を失うには十分過ぎる時間だ。だったらその間に勉強させていれば良い、というのは自然な考え方だ。
しかし、夏休みはもっと有効活用されるべきではないか。休みボケ問題を改善したいのなら教育の制度を変えたって良いのだし、何より学校外で得られる大切な体験や機会を奪ってしまってはないか。そう思わずにはいられない。
まあとにかく、補習が始まってしまった。初日は生徒も辛そうな顔で授業を受けていた(先生だって学校に来たくない)。午前までなのが不幸中の幸いだが、それでも部活指導を含めればほぼ一日中、学校にいなければならない(生徒も同じ)。まだ確保できる時間は多いので、この期間中に趣味の時間を多めに取ったり、自分のスキルアップのための授業準備や教科研究をしていきたい。