帰国子女の信仰問答

Plan, Do, Check, Pray

マックス・ルケードの配信

『たいせつなきみ』という本を知っていますか?

英語ではYou Are Specialというタイトルですが、その内容の良さから西洋では大人気。西洋の子供達の自己肯定感の向上にかなり貢献してきたと思います。日本でも知名度は高いので、聞いたり読んだりしたことのある人もいるかもしれません。

この本の作者として有名なのがマックス・ルケード氏(Max Lucado)。名前も英語では語呂が良くてカッコ良いです。クリスチャン作家としては一番有名な人の一人でしょう。そしてこの人の書く本は神の愛がこれでもかと描かれている気がします。

その彼が実は毎日のデボーションを配信しています。英語が分かる人限定ですが…。5分以内に終わるし文章量も短い(本人が読み上げた音声も配信しています)。訳すこともそこまで苦ではないでしょう。

maxlucado.com

アメリカでの配信なので、その日のデボーションは時差の関係で午後くらいに配信されますが、私はたまに使っています。良ければ試してみてください。あ、本を読んだことなかったらオススメです。クリスチャンに限らず広く愛されている本です。

2023年8月10日:自分の求めているもの

今日の箇所は歴代誌下1:1-17より。今回もNicky Gumbel氏の清書プランから。

ソロモンが王座につき、神がソロモンに望むものを与えると言った時。ソロモンがこの時に「知恵」を望んだのはクリスチャン以外にも広く知られている有名な話。

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2023年8月9日:偉大さの三段階

今日は詩篇93編、コリントの信徒への手紙一5章、歴代誌上28~29章。

「その意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう。」 ‭‭コリントの信徒への手紙一‬ ‭5:10‬ ‭新共同訳‬‬

人付き合いの悩みって確かにあるよね。特にクリスチャンではない人との関係は、親しいほど慎重になるべき時はある。でもイエス・キリスト自身が世間で最も疎まれていた人々と積極的に関わっていたことを考えると、きっと贅沢過ぎる悩みなのかもしれない。

印象に残ったのはNicky氏が導入で述べたブレーズ・パスカルによる「偉大さの三段階」(日本語訳読んでないので正しい訳なのか分かりません)。調べてみると、この人は「人間は考える葦である」と言った人らしい。有名な人じゃん。いつか『パンセ』を読んでおきたい。

パスカル曰く、偉大さには三段階ある:

  1. 「身体的」「物理的」偉大さ:強さとか見た目とか富とか
  2. 「精神的」「能力的」偉大さ:頭の良さとか技術力とか芸術的な能力とか
  3. 「神聖的」偉大さ:神の神聖さ

もちろん1<2<3である。そして第三の偉大さは神なくしては達成できない。クリスチャンからしたら分かりやすいね、この分類。パスカル曰く、2と3の間には途方もない差があるとのこと。だから清い人間は頭が悪かろうと貧かろうと第三の偉大さで優れている時点で尊敬に値するというのだ。確かになぁ。僕たちは清い人を見ても、ついついその人の能力とか外見的要素を見て判断してしまいがち。でも僕たちが一番大切にするべきなのはお互いの清さなのだ。

www.bible.com

「読書プラン」のお気に入り

どうやって聖書通読していますか?

私は今、(YouVersionの)聖書アプリで読めるデボーションを使ってます。毎日のデボーションにも適しているので一石二鳥です。下のこれです。聖書アプリの「読書プラン」でも読めます。

www.bible.com

日本語版もありますが、私は英語版を使っていています。なんとNicky Gumbel牧師本人が収録した音声も入っているので聴きながら読みます。これが恵まれるんだな。上手い具合に毎日の聖書箇所をデボーションとして落とし込んでます。導入や根拠付けのために様々なストーリー、文献、実話を使いますので、なんか知識も増えていく気分。もはや小さな説教です。

ただ毎日使ってはないです。毎日開いていた時期もありますが、今は3日に1回くらいかな、聖書を開くの。この牧師さんのデボーションは音声を聴けば15分くらいなのですが、その短さであっても忙しさを言い訳に毎日は開かなくなりました。どうせ5分でも同じなのでしょう。聖書を開くのは日々の戦いですね。いつか聖書通読を成し遂げねば。

みなさん、どんなデボーションの本や「読書プラン」を使っていますか。良ければ教えてくださいな。

このブログを始めた理由

ものを書くことは真の霊的修錬になります。…書くことで、私たちが生きてきたことを自分のものとし、それを私たちの人生の旅により深く統合していきます。そのように、ものを書くことは私たちの人生の助けとなり、また時には他の人々の人生にとっても、助けとなるでしょう。

ヘンリ・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より

自分の日常や信仰についての日記を書くと良い、というアドバイスはけっこう耳にする。実際、自分も何度か日記帳や日記アプリ等を試したことがあるが、長続きはしなかった。似たようなブログも何度も作っては消す、を密かに繰り返していた。

結局、色々と試してみて、自分の中で一番続きそうなのがブログという結論に至った。それは自分の中の色々な欲求にも程よく応えてくれるから、という理由もある。(その中に承認欲求もあるが、悪い結果にはならないだろう、と考えている。このことについてもいつかブログ内で触れたい。)

もう一つ大きな理由がある。少し前に自分の人生や信仰にとって大きな出来事があった。まだ詳しくは書けないが、簡単に言えば自分の将来が決まった。

これも一つの節目というのか、信仰の記録を書こうと決断するきっかけにしようと思った。

まあ、タイトルについてはこんな感じ。

「乞うご期待」とは口が裂けても言えないので、期待しない程度にまた読みに来てくださればそれ以上のことはありません。