帰国子女の信仰問答

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2023年8月9日:偉大さの三段階

今日は詩篇93編、コリントの信徒への手紙一5章、歴代誌上28~29章。

「その意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう。」 ‭‭コリントの信徒への手紙一‬ ‭5:10‬ ‭新共同訳‬‬

人付き合いの悩みって確かにあるよね。特にクリスチャンではない人との関係は、親しいほど慎重になるべき時はある。でもイエス・キリスト自身が世間で最も疎まれていた人々と積極的に関わっていたことを考えると、きっと贅沢過ぎる悩みなのかもしれない。

印象に残ったのはNicky氏が導入で述べたブレーズ・パスカルによる「偉大さの三段階」(日本語訳読んでないので正しい訳なのか分かりません)。調べてみると、この人は「人間は考える葦である」と言った人らしい。有名な人じゃん。いつか『パンセ』を読んでおきたい。

パスカル曰く、偉大さには三段階ある:

  1. 「身体的」「物理的」偉大さ:強さとか見た目とか富とか
  2. 「精神的」「能力的」偉大さ:頭の良さとか技術力とか芸術的な能力とか
  3. 「神聖的」偉大さ:神の神聖さ

もちろん1<2<3である。そして第三の偉大さは神なくしては達成できない。クリスチャンからしたら分かりやすいね、この分類。パスカル曰く、2と3の間には途方もない差があるとのこと。だから清い人間は頭が悪かろうと貧かろうと第三の偉大さで優れている時点で尊敬に値するというのだ。確かになぁ。僕たちは清い人を見ても、ついついその人の能力とか外見的要素を見て判断してしまいがち。でも僕たちが一番大切にするべきなのはお互いの清さなのだ。

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